幼い貞には一彦という友だちがあった。一彦は時々山の方を指差しては山女の話をした。山中に住む奇麗な女で、日本中どこにでもいるらしい。そして笑いかけて人の血をすすったりするのだそうだ。貞はその話が怖くていつも山を見ないようにしていたが、それを見ても一彦は決して話をやめなかった。そして挨拶のように山女の話を繰り返すのだった。
寺で遊んでいた時、一彦は山を見上げてじっとしていた。
「あそこにいるよ。ほら」
一彦はそう言って笑った。本当にうれしそうだった。
それから一彦はすぐに転校した。何も言わずにいなくなった。家庭の事情らしかった。
しかし、貞の頭の中にはある一つの妄想が静かにゆらめいていた。
朝霧の中、山女に手を引かれて行く少年。
それが貞には不思議とうらやましかった。
「蛇使いの女」 アンリ・ルソー 絵
「石橋画廊」
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